後日談


 誉がオメガセンターから橙子を取り戻した数日後の日曜日。
 午後になって彼は妻を誘い、自ら運転して神奈川県へ向かった。今日は結婚指輪を作りに行くことが目的だった。
 指輪を買いに行く、ではなく、作りに行くのは、誉に金属アレルギーがあるせいだ。プラチナを身に着けて炎症に悩まされた経験から、肌に触れる金属には気をつけている。

 橙子を妻として連れ帰った翌日、誉は彼女へ欲しいブランドの指輪はあるかと尋ねた。が、特に憧れているブランドもないそうなので、友人が奥方と一緒に経営するジュエリーショップを利用することにした。
 樋口というかつての同級生はベータだが、アルファの自分と妙に気が合い、渡米するまでの間、長い付き合いがあった。
 久しぶりに連絡を取ってみると、樋口の店は人気があるのか来店予約が埋まっていたものの、時間をやりくりして予定を開けてくれた。

 当日、一時間ほどで横浜の店に到着すると、十年ぶりに会う樋口がわざわざ店の前で待ち構えていた。
 駐車場に車を止めて誉たちが近づけば、両手を広げて大げさに出迎える。

「八神! めちゃくちゃ久しぶりだなぁ、おい! いつ日本に帰ってきたんだよ?」
「つい最近だ。――紹介するよ。俺の妻で橙子だ」
「つま……っ、はっ、はじめまして、八神橙子です」

 人前で妻と呼ばれて、舞い上がっているのがよく分かる橙子は頬を染めている。……なぜ当たり前のことを言われて喜ぶのかよく分からないが、彼女は一人で盛り上がることが多いので気にしないことにしていた。

「はじめまして、奥様。俺は樋口と申します。八神とは高校まで一緒の学校に通ってたんですよね」

 樋口の名刺を受け取った橙子は、「ジュエリーデザイナーさんですか」と驚いたような口調で呟いている。
 この店は樋口の妻が社長で、彼自身はデザイナーの仕事に没頭しているという。
 彼にうながされて店に入ると、こじんまりとした店内には樋口がデザインしたジュエリーがセンスよく並んでいた。
 店主である彼の妻に挨拶をしてから奥へ入り、六畳ほどの小部屋に通される。壁のガラスディスプレイには指輪がずらりと展示されていた。
 表の店舗にはネックレスやピアスなどのジュエリーがあるのに、この部屋は指輪のみ。ここで婚約指輪や結婚指輪のオーダーメイドを承るという。
 指輪が並べられたディスプレイの前に導かれた橙子は、プラチナリングのサンプルを見て声を上げた。

「わぁ、素敵。シンプルなものから、ちょっと変わったゴツいものまで、いっぱい」
「――樋口、このプラチナってパラジウムは入っていないのか?」
「入っているのもある。プラチナのリングに決めるなら、イリジウムを配合したものを使う予定だ」

 そこで食い入るように指輪を見つめていた橙子が、ふと顔を上げて夫を見上げた。

「パラジウムとかイリジウムって、なんのことですか?」
「パラジウムは俺のアレルゲンになる金属だよ。プラチナのジュエリーで金属アレルギーが発症するのは、プラチナと一緒に配合されているパラジウムが原因なんだ」
「あ、そういえばプラチナって柔らかいから、純度百パーセントじゃ作れないって雑誌で読んだことがあります」
「そう。だから通常はパラジウムを混ぜている。でもそれだと俺が触れないから、代わりにイリジウムを混ぜるんだ」

 へぇ、と感心する声を上げた橙子は、樋口にうながされて隣のディスプレイへと移動する。
 そこに展示されている、様々な色の光を発する指輪に目を丸くして樋口を見た。

「この色がついたリングも結婚指輪なんですか?」
「そうです。ジルコニウムって金属を使った指輪で、これも金属アレルギーを起こしにくいから八神でも大丈夫ですよ。綺麗でしょう?」
「はい。めちゃくちゃ綺麗な色……」

 素材自体はプラチナと変わらない銀色の金属なのに、不思議な色の光を発色している。視線を動かすたびに揺れる色の種類はかなりの数があり、樋口によると全部で二十色を表現できるらしい。
 橙子は初めて見る輝きに目が離せないでいる。

 樋口がこれら以外に、金属アレルギーが起きにくいチタンを使用したリングや、ダークグレーの色味を持つタンタルのリングも紹介した。
 しかし橙子は、美しい発色が特徴的なジルコニウムの指輪へ引き戻されていく。ディスプレイを覗き込んで離れようとしない。
 妻の顔に、誉は自分の顔を寄せた。

「これが気に入ったのか?」
「はいっ。こんな光る指輪があるなんて知りませんでした……なんて綺麗」
「じゃあ、直接お手に取って見てください」

 樋口がディスプレイのガラス扉を開けて、ジルコニウムリングのサンプルを取り出し、テーブルの上に並べていく。
 動かすたびに指輪を彩る様々な色合いも動くため、ジュエリーに興味がない誉でも幻想的なまでに美しいと思った。

「この指輪というか金属、すごいな」
「本当に不思議です。金属なのに光ってて……」
「でしょう。この色は変えることもできるんですよ」
「え! これって金属に色を着けているんですか?」
「いえ、ジルコニウムの色は着色じゃないんです。表面に作った被膜に光が当たると、色が見える仕組みになっていまして」

 なので気に入ったデザインの指輪に、好きな色を発色させることが可能だという。
 橙子がサンプルを指にはめては真剣に選び始めたため、樋口が一度退室して三人分のコーヒーを持ってきた。
 彼は橙子のテーブルにカップを一つだけ置いて、トレーを持ったまま誉に手招きする。

 ――なんだ?

 チタンリングのディスプレイ前で、立ったままコーヒーを渡してくる樋口は接客用の笑顔を消して声をひそめた。

「なあ、あの子って、もしかしてオメガか?」
「……なんでそう思うんだ」
「あ、否定しないんだ」

 鎌をかけられたことを察した誉は、形のいい眉を寄せてムッとした顔つきを見せる。樋口は笑って明後日の方角へ視線を向けた。

「いやぁー、あの子ってどう見てもアルファには見えないだろ。だからベータだと思ったんだけど、アルファのおまえがベータと結婚するかなぁって思ってさ」

 お見合いしたんだ、と感心したような、少し驚いたような口調で樋口は呟く。彼もまた誉がオメガ嫌いであることを知っていた。
 しかし橙子が野良オメガであったことを説明すると長くなるため、誉は肩を竦めただけだった。
 すると樋口は何を思ったか、嬉しそうに頷いている。

「でもちょっと安心したよ。仲が良さそうで」

 ちらりと樋口が橙子を見遣ると、彼女は目を輝かせてジルコニウムリングを左薬指にはめては、これもいいけどあっちもいい、と悩みまくっている。誉たちが離れていることにも気づいていない。
 その楽しそうな表情に誉も口元をゆるめた。が、樋口が自分の方へ視線を戻したので、すぐさま無表情を取り繕う。

「ここ最近さ、アルファとオメガの組み合わせが来ることも増えたんだけど、なんかなぁ……幸せそうじゃないんだよ。特にオメガが」

 アルファの伴侶が指輪を選ばせようとしても、「好きに決めてください」と積極性がなかったり、まったく意見を言おうとしないらしい。オメガたちの表情は硬く、指輪をはめようとさえしない者がいる。
 頑なな態度に業を煮やして怒鳴り出すアルファもいれば、寂しそうな表情で伴侶の機嫌を取るアルファもいるという。

「せっかく結婚指輪を選ぶんだから、楽しい思い出にして欲しいって俺は思うんだけど……」
「まあ、無理だろうな」

 誉は白けた顔つきで、そっけない声を吐き出した。
 オメガにしてみたら、好きでもない、見合いで顔を合わせたぐらいしか知らない相手と結婚を強制されるのだ。わずか十八歳で。
 橙子は以前、『アルファが好きなオメガっていないと思いますよ』と告げたことがあるが、安易な思い付きで言ったのではないと誉は知っている。

 なぜならオメガがおつとめを果たした後、アルファの伴侶と別れなかった者は、全体の二パーセント以下との統計さえあるのだ。その離婚を踏みとどまったオメガたちも、闘病中であるとか、別れたいのに別れられない理由があってのことだ。
 そして自由の身になったオメガの中で、アルファと再婚した者はただの一人もいない。
 アルファ側も憎まれていると分かっていながら、子どもを得るためにお見合いをしてオメガを娶ったのだ。そのくせ愛されたいと身勝手な気持ちを抱いている。
 さすが傲慢で自分本位なバース性だ。やはり滅んだ方がいい。

 ――俺も含めて。

「誉さん、この指輪はどうですか」

 橙子がジュエリートレーに三つの指輪を載せて近づいてくる。選ぶのがよほど楽しかったのか、頬をうっすらと紅潮させていた。
 その薄桃色の頬が美味しそうだと誉は思う。
 彼は樋口にコーヒーカップを返すと、橙子の腰を抱いてソファに戻る。ジュエリートレーをテーブルに置き、妻を己の膝の上に座らせた。

「……え」
「気に入った指輪は決まったか?」
「……は、い……、あの、おろして、ください……」

 あまりのことに動けないでいる橙子が、焦った様子で誉と樋口の顔を交互に見ている。
 そこで妻しか見えていなかった誉の眼差しが樋口に移った。彼はあんぐりと口を開けてアホ面をさらしている。

「すまん、おまえの存在を忘れていた」
「忘れんなよ! どうやったら忘れるんだ!」

 誉の正面の席に腰を下ろした樋口は頭を抱えた。
「おまえ、こんなキャラだったっけ……?」との呟きを、誉は完全にスルーして妻を見つめる。

「指輪に色を着けるんだよな。何色がいい?」

 動揺しすぎて放心している橙子の前に、テーブルに置かれていたカラーサンプル用の指輪の箱を差し出す。その箱の中にはニ十個の色違いの指輪がずらりと並んでいた。
 色の美しさに目を奪われた橙子は我に返り、慌てて誉の膝から逃げ出して隣に座り直す。

「わ、私、黄色系の色が好きなんです。……あの、誉さんは何色が好きですか? 誉さんの好きな色と合わせたいです」
「特に決まっていないが……青、かな」

 そこで樋口も正気を取り戻したのか、ハンカチで額の汗を拭いてから橙子へ頷いた。

「それなら、二色のグラデーションにしましょうか」

 誉へは睨むような視線を向けながら、ジュエリートレーにカラーサンプル用のリングを並べていく。

「青といっても色々あるぞ」

 夏の澄み渡る高い空をイメージするスカイブルーや、透明な海の水を連想させるマリンブルーなど、色々だ。誉は青色の中から、深海を思わせる紫がかった濃いめの群青色を選んだ。
 橙子が選んだのは、明るい陽の光を連想させる爽やかなレモンイエローだ。見る角度によっては黄金色にもなる煌めきが美しい。
 色が決まれば、樋口はタブレットのオリジナルアプリケーションを立ち上げ、選んだ三つの指輪に二色を載せたサンプルを表示する。
 その中から最終的に橙子が気に入ったのは、やや幅広のジルコニウムリングに、美しいグラデーションのラインが入る指輪だった。
 二人で選んだ色合いが絡まるデザインは美しく、橙子はとても喜んで、喜びすぎて涙ぐんでいた。



 せっかく神奈川まで来たのだからと、中華街や港の辺りを観光して、食事を済ませてからホテルへ向かう。
 高層階にあるグランドスイートの部屋に入ると、ライトアップされた港周辺が見下ろせた。
 部屋に入るとさっそく窓にへばりついた橙子は、感嘆のため息をついている。

「うわぁー、高い! ちょっと怖いぐらい高いけど、すっごく綺麗!」

 橙子の足元が少しふらついているので、誉は背後から抱き締めて支えておく。
 彼女は夕食の店で出された、紹興酒を使った甘めのカクテルが気に入ったらしく、ひょいひょい飲んでいたためほろ酔い状態だ。

「おまえ、吐き気とかはないのか」
「大丈夫です!」

 ひっく、としゃっくりをしながら答えるから、まったく信用ならない。誉がミネラルウォーターを取ってこようと彼女の細い体を離すと、急に橙子が抱きついてきた。

「ありがとうございます、すごく嬉しいです。誉さんとデートできるの」
「そうか」

 まあ、もともと偽装結婚を頼むような関係でしかなかったため、こうして恋人のように二人きりで出かけることは……広島のときしかない。まずい。

「橙子、他に行きたいところがあったら、どこへでも連れていくぞ」
「うーん、いつか海外に行ってみたいって気持ちはあります。でもそれはちょっと先のような気がしますし……」

 誉にも、橙子を海外へ連れていく考えはあった。日本よりバース性の差別が少ない国はたくさんある。
 だが彼女を国外へ連れ出すには、おつとめを果たさないといけないのだ。そしてオメガがオメガの子を産む確率は一割と低い。生まれないことも多い。
 誉は彼女の顎に指を添えて顔を持ち上げた。

「じゃあ、オメガの子が産まれるよう俺も努力するよ」

 その意味を理解した橙子が目元を赤く染めて、ダブルベッドを横目で見る。何を考えているのか、この子は本当に分かりやすい。

「と、言っても一年ぐらいは夫婦二人きりで過ごしたい。せめて国内で、おまえを色々なところに連れていくよ」
「そっ、そうですね……! 楽しみです」

 動揺する橙子は、羞恥を誤魔化したいのか抱きついてきた。いい香りのする体を抱き締め返すと、不思議なくらい心が平らかになって、愛しさが膨れ上がる。

「……他に、何か望むことはないのか。なんでもいい。おまえが望むなら、なんでも手に入れてやる。何か叶えて欲しいことがあれば、なんでも叶えてみせる」

 橙子は夫の腕の中で、う~ん、と小さく呻っている。その様子から、特に何もないことが誉にも察せられた。
 無欲な妻を見ていると、彼女を思いっきり甘やかしたい想いとは別に、やはり海外へ連れていけないことに対する己の不甲斐なさが、黒いモヤとなって心に溜まっていく。

「……もし、この世からアルファを消し去りたいというなら、俺は死ぬまで努力し続けるぞ」

 この世界を牛耳る身勝手で腐敗した同族を、家族も含めて消えてしまえばいいと思うときがある。
 だが橙子はきょとんとした顔で、夫の美しい顔を見上げて激しく目を瞬いた。

「アルファがいなくなったら、誉さんも消えちゃうってことじゃないですか。それに私が産む子どもはアルファですから、そんなの絶対に嫌ですよ」
「……そうだな。馬鹿なことを言った」

 誉が自嘲を含む笑みを口元に浮かべたとき、彼女は何かを思いついた表情になった。

「あのっ、望みというか、お願いならあります!」
「なんだ?」
「えっと、実は、その、一度、プロポーズというのを、されてみたいなぁ、と……」

 橙子が目線を横に逸らせたと同時に、誉は妻の愛らしい顔を両手で包み、まっすぐに見下ろした。

「――おまえを愛している」

 橙子を、一心同体となった己の〝運命〟を見つめ、触れるだけの口づけをする。目を丸くしている彼女の様子から、そういえば好きだと言った記憶はあるが、愛を告げたのは初めてだと思い出した。

「どうか死ぬまで俺と共に生きてくれないか。……頼む」

 彼女の美しい瞳を覗き込み、目を逸らさず暗示をかけるように囁く。失ってしまったら生きていくことさえできない己の運命へ。
 数拍の間を空けて、橙子の目からバタバタとすごい勢いで涙が噴き零れた。
 妻の涙もろさに慣れてきた誉は、冷静にハンカチで雫を拭き取る。

「で、返事は?」
「はっ、はい……! わたし、もっ、ずっと、いっしょに、生きていきます……っ」

 たぶん橙子の予想では、淡々と「結婚してくれ」と言われると思っていたのだろう。夫は妻の乙女的な訴えを右から左へ聞き流すタイプだ。
 それでも流してはいけない瞬間があることぐらい、分かっている。

 ――いつか、この腐りきった国からおまえを出してやる。外の世界は広くて、もっと自由があることを教えてあげたい。

 誉は胸の奥に生じたもどかしさを抑え込み、最愛の妻を抱き締めて口づけた。


 Fin.


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